スリーサイズ:80 - 58 - 80 cm
ドラマ
- 仮面の女(1998年10月、TBS)
- 救急戦隊ゴーゴーファイブ(1999年 - 2000年、テレビ朝日) - 巽マツリ / ゴーピンク(声) 役
- access(2000年10月、関西テレビ) - 柴田みゆき 役
- こちら第三社会部(2001年、10月8日-12月17日、TBS) - みのり 役
- 月曜ミステリー劇場「ホステス探偵危機一髪」(2002年3月、TBS) - 真由美 役
- 月曜ミステリー劇場「万引きGメン・二階堂雪」(2002年5月、TBS) - 夏美 役
- ケータイ刑事 銭形愛(2002年10月27日、BS-i)第4話 - 如月 役
- キラージョー(2003年3月、BS-i)
- 独身3!!(2003年10月、テレビ朝日)第3話 - 晴美 役
- ラブ・コレ 東京Love Collection(2006年、GyaO) - 沢村絵里 役
- 侍戦隊シンケンジャー(2009年5月3日、テレビ朝日) - 香奈 役
- 海賊戦隊ゴーカイジャー(2011年7月31日、テレビ朝日)- 巽マツリ 役
- 土曜ワイド劇場「おとり捜査官・北見志穂」(2014年4月5日、テレビ朝日) - 篠原祐子 役
ゴーピンク・巽マツリ役で人気だった柴田かよこの衝撃グラビア 「自分でも不思議なくらい気持ちよかった」
週プレNEWS 2月20日(金)14時0分配信
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『救急戦隊ゴーゴーファイブ』にゴーピンク・巽マツリ役で出演し人気だった柴田かよこ |
2015年はスーパー戦隊シリーズ40周年! その記念すべき節目に、発売中の『週刊プレイポーイ』で、なんと袋とじ初グラビアを披露、話題を呼んでいるのが『救急戦隊ゴーゴーファイブ』のゴーピンク・巽マツリ役で知られる柴田かよこだ。
【画像】ゴーピンクとして人気だった柴田かよこの衝撃グラビア
純白のランジェリー姿から一糸まとわぬセミヌードまで! かつて胸をドキドキさせながら想いを馳せたピンク色のスーツの下を“戦隊シリーズNo.1”とも言われた美貌&大人の色気とともに惜しみなく晒(さら)している。
1998年、高校3年生の時に芸能界入り。翌年、『ゴーゴーファイブ』への出演で人気者に…。その後は台湾へ拠点を移し、日本と行き来しながら女優として活動。2015年は再び日本を拠点とする予定だそうだが、これで再ブレイク必至?
衰えを知らぬ姿で、あの頃子供だった男どもまで今また熱くときめかせる柴田かよこ。そこで彼女を直撃、現在の心境に迫った。
* * *
ーまさかゴーピンクのグラビアが見られるなんて、感激です!
柴田 あははは。ありがとうございます。
ー男性誌初登場とのことですが、かなり大胆なカットばかりで…「炎魔」と戦うのと同じくらい勇気がいったのでは?
柴田 そうですね(笑)。かなり恥ずかしかったですよ。でも、スタッフさんがすごく優しくて丁寧に説明しながら撮影してくれたり、明るい雰囲気にしてくれて。途中からは慣れちゃって、自分でも不思議なくらい気持ちよかったです(笑)。
ー特に印象に残ってるのは?
柴田 外のテーブルで寝そべっているシーンがあるんですけど、ポーズがしんどいだけじゃなくて、すごく寒くて。少しプルプル震えてました(笑)。なにしろ初めてで、どういうポーズをとればいいのかとか、まるでわからなくて。ずっと必死でした。
でも、仕上がりは新しい自分を発見できて気に入ってます。ちょっとグラビアに目覚めたかも(笑)。
ーそれはよかったです! ところで、そもそも芸能界入りしたきっかけって?
柴田 高校生の時にカットモデルで雑誌に出たんですけど、それを事務所の方が見て連絡をくれたんですよ。自分でもビックリしました。
ーへー。それでデビュー翌年には、代表作でもある『救急戦隊ゴーファイブ』に出演。戦隊モノの撮影ってハードだって聞きますけど?
柴田 本当にその通りで、毎日早朝から撮影するんです。一年間ほぼ休みもないですし、ヘトヘトでした。「ゴーゴーファイブ」って、メンバーは兄弟の設定だったんですけど、普段もみんな兄弟みたいに仲が良かったんですよ。スタッフ合わせると家族みたいで。だから頑張れたんでしょうね。
ーハードといえば、アクションシーンだってありますもんね。
柴田 怪我は絶えませんでしたね。特に覚えてるのはナパーム弾が爆発するシーン。あれ間近に見ると怖いんです。その中を走り抜けるシーンは辛かったですね~。でも当時の思い出は本当に宝物です。今でも大勢の方がゴーピンクの巽マツリのファンでいてくれますし。
ー戦隊モノのファンはアツいですからね~。
柴田 当時は後楽園遊園地やイベントにも出演することがあって。そこでファンの方と直接お目にかかるんですよ。そうすると、なんとなく一緒に頑張ってるような気がするんですよね。そういえば、自分の子供に「マツリ」って名前をつけてくれたファンもいました。すごく嬉しかったです!
ーしばらく台湾に生活の場を移して活動していたそうですが、それはまたなぜ?
柴田 昔、台湾でCMの撮影したことがあったんですけど、食べ物も美味しいし、過ごしやすく仕事しやすい印象があったんですよ。ある時期、一から自分を試したいって思った時、海外で仕事することを思いついて、だったら台湾はどうかって。CMに出たり、ショートムービーに出たり、あとミュージックPVに出たりしてますね。
ちなみに、向こうでも『ゴーゴーファイブ』は4~5年遅れてだと思うんですけど、ちゃんとオンエアされてて、みんな知ってるんですよ。ーじゃあ向こうでもゴーピンクって?
柴田 はい(笑)。今年からは、また日本に戻って、女優のお仕事をやっていきたいと思っています。
ーでは、これからはちょくちょくお姿を拝見できそうですね。今後のご予定は?
柴田 自分らしくマイペースでやっていきたい!! 今はそんな感じですね。日本、台湾、そしてアジアと広げていけたらいいなと思っています。
ーでは最後に、読者へメッセージを!
柴田 グラビアが本当にとても楽しかったので、もういい年齢ですけど、また機会があれば嬉しいな~と思います(笑)。これからも頑張っていくので応援してくださいね。よろしくお願いします!
(取材・文/大野智己 撮影/西田幸樹)
■柴田かよこ SHIBATA KAYOKO
1980年2月21日生まれ 神奈川県出身 身長158cm B80 W58 H80 血液型=O型 趣味=温泉巡り、映画鑑賞 特技=中国語、日本舞踊
○2012~2014年、台湾をベースに活動。演技の幅を広げた彼女の今後に注目です!4月下旬、エスデジタルよりDVD発売!最新情報は公式ブログにてご確認ください。【http://ameblo.jp/shibata-kayoko/】
【画像】ゴーピンクとして人気だった柴田かよこの衝撃グラビア
純白のランジェリー姿から一糸まとわぬセミヌードまで! かつて胸をドキドキさせながら想いを馳せたピンク色のスーツの下を“戦隊シリーズNo.1”とも言われた美貌&大人の色気とともに惜しみなく晒(さら)している。
1998年、高校3年生の時に芸能界入り。翌年、『ゴーゴーファイブ』への出演で人気者に…。その後は台湾へ拠点を移し、日本と行き来しながら女優として活動。2015年は再び日本を拠点とする予定だそうだが、これで再ブレイク必至?
衰えを知らぬ姿で、あの頃子供だった男どもまで今また熱くときめかせる柴田かよこ。そこで彼女を直撃、現在の心境に迫った。
* * *
ーまさかゴーピンクのグラビアが見られるなんて、感激です!
柴田 あははは。ありがとうございます。
ー男性誌初登場とのことですが、かなり大胆なカットばかりで…「炎魔」と戦うのと同じくらい勇気がいったのでは?
柴田 そうですね(笑)。かなり恥ずかしかったですよ。でも、スタッフさんがすごく優しくて丁寧に説明しながら撮影してくれたり、明るい雰囲気にしてくれて。途中からは慣れちゃって、自分でも不思議なくらい気持ちよかったです(笑)。
ー特に印象に残ってるのは?
柴田 外のテーブルで寝そべっているシーンがあるんですけど、ポーズがしんどいだけじゃなくて、すごく寒くて。少しプルプル震えてました(笑)。なにしろ初めてで、どういうポーズをとればいいのかとか、まるでわからなくて。ずっと必死でした。
でも、仕上がりは新しい自分を発見できて気に入ってます。ちょっとグラビアに目覚めたかも(笑)。
ーそれはよかったです! ところで、そもそも芸能界入りしたきっかけって?
柴田 高校生の時にカットモデルで雑誌に出たんですけど、それを事務所の方が見て連絡をくれたんですよ。自分でもビックリしました。
ーへー。それでデビュー翌年には、代表作でもある『救急戦隊ゴーファイブ』に出演。戦隊モノの撮影ってハードだって聞きますけど?
柴田 本当にその通りで、毎日早朝から撮影するんです。一年間ほぼ休みもないですし、ヘトヘトでした。「ゴーゴーファイブ」って、メンバーは兄弟の設定だったんですけど、普段もみんな兄弟みたいに仲が良かったんですよ。スタッフ合わせると家族みたいで。だから頑張れたんでしょうね。
ーハードといえば、アクションシーンだってありますもんね。
柴田 怪我は絶えませんでしたね。特に覚えてるのはナパーム弾が爆発するシーン。あれ間近に見ると怖いんです。その中を走り抜けるシーンは辛かったですね~。でも当時の思い出は本当に宝物です。今でも大勢の方がゴーピンクの巽マツリのファンでいてくれますし。
ー戦隊モノのファンはアツいですからね~。
柴田 当時は後楽園遊園地やイベントにも出演することがあって。そこでファンの方と直接お目にかかるんですよ。そうすると、なんとなく一緒に頑張ってるような気がするんですよね。そういえば、自分の子供に「マツリ」って名前をつけてくれたファンもいました。すごく嬉しかったです!
ーしばらく台湾に生活の場を移して活動していたそうですが、それはまたなぜ?
柴田 昔、台湾でCMの撮影したことがあったんですけど、食べ物も美味しいし、過ごしやすく仕事しやすい印象があったんですよ。ある時期、一から自分を試したいって思った時、海外で仕事することを思いついて、だったら台湾はどうかって。CMに出たり、ショートムービーに出たり、あとミュージックPVに出たりしてますね。
ちなみに、向こうでも『ゴーゴーファイブ』は4~5年遅れてだと思うんですけど、ちゃんとオンエアされてて、みんな知ってるんですよ。ーじゃあ向こうでもゴーピンクって?
柴田 はい(笑)。今年からは、また日本に戻って、女優のお仕事をやっていきたいと思っています。
ーでは、これからはちょくちょくお姿を拝見できそうですね。今後のご予定は?
柴田 自分らしくマイペースでやっていきたい!! 今はそんな感じですね。日本、台湾、そしてアジアと広げていけたらいいなと思っています。
ーでは最後に、読者へメッセージを!
柴田 グラビアが本当にとても楽しかったので、もういい年齢ですけど、また機会があれば嬉しいな~と思います(笑)。これからも頑張っていくので応援してくださいね。よろしくお願いします!
(取材・文/大野智己 撮影/西田幸樹)
■柴田かよこ SHIBATA KAYOKO
1980年2月21日生まれ 神奈川県出身 身長158cm B80 W58 H80 血液型=O型 趣味=温泉巡り、映画鑑賞 特技=中国語、日本舞踊
○2012~2014年、台湾をベースに活動。演技の幅を広げた彼女の今後に注目です!4月下旬、エスデジタルよりDVD発売!最新情報は公式ブログにてご確認ください。【http://ameblo.jp/shibata-kayoko/】